不眠、仮眠、アルコール、眠剤……現実逃避の激流からようやく静かな朝を迎えられるまで【神野藍】連載「揺蕩と偏愛」#19
神野藍 連載「揺蕩と偏愛」#19
◾️偶然が必然に変わった瞬間
不眠と仮眠を行き来したのち、ようやくかつてのように朝を迎えられるぐらいに戻った。今の家は朝日は差し込んではくるが、色のついた光ではなく、ただただ白い光が差し込んでくるだけ。ぼんやりとした温かみが入ってきた昔の家が恋しくなる気持ちはあるが、今の温度だけを感じられる部屋も気に入っている。
壁に上半身を任せて布団の上にパソコンを置く形でこの文章を書いているが、暖房を入れているのを忘れるぐらいに手の先は冷たくなっていく。その冷たさが朝の輪郭をより際立たせて、「ああ、私は私の世界に戻ってきたんだな」と胸を撫で下ろした。この冷たく真っ白い時間が私の背筋を伸ばしてくれる。全てを闇で包み込みアルコールで身体を溶かす時間も悪くはないが、自分の力だけで全身に血を送り出しているのは今の方が感じられる。
携帯が数回振動した。偶然ではなく必然でメッセージを送信する相手からだった。現実では距離があるはずなのに、なぜか背中合わせで何かをやっている気持ちになる。この人もこの人自身の朝を始めたんだなと思いながら、パソコンから携帯へと文字を打つ先を変えた。
私の心に凪が訪れた。数ヶ月続いた思考の戦争が終わったらしい。医者から言われた錠剤を飲み込もうと、現実を忘れるためにアルコールを取り込もうと、一人で街の背景に溶け込もうと、消えていなかった私の激流が、ぴたっと流れるべき場所に収まり、静かな朝を迎えた。最後まではまらなかった欠片が見つかったようだった。
作業の裏で流れていた音を止め、ベッドから這い出る。飼い主の動きを察知した犬も同じように布団から出て背伸びをしていた。「あんたもやってみなよ」と言われたような気がして、私も丸まった背中をぐっと伸ばした。
文:神野藍
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに



